ユナイテッドサポ大学生の雑記

マンチェスターユナイテッドを応援する一大学生が試合やチーム情報、ニュース、日々感じたことを気ままに書くブログ。プレミアが好きな彼女がほしい。

ソンへのレッドカードとバロテッリへのチャントから見る、人種差別の愚かさ。

コラムです。第1回はサッカー界にはびこる時代遅れの人種差別について。

 

日本時間11月4日に行われたプレミアリーグ第11節のトッテナム・ホットスパーエバートンにおいて、ショッキングな光景が繰り広げられてしまった。

トッテナムが1-0リードで迎えた79分、ソン・フンミンエバートンのMFアンドレ・ゴメスに後ろからタックルに行き、それによって倒れこんだ先にいたセルジュ・オーリエに挟まれたゴメスは足首の脱臼骨折という重傷を負ってしまった。目の前で足首が曲がるショッキングなシーンを見たソンは取り乱してしまい、マーティン・アトキンソン主審はある種の「温情措置」としてソンにレッドカードを提出(公式では負傷を誘発した危険なプレーとして出されたことになっています)。審判がAI化したとして、彼にはレッドカードは出なかったのではないかと思う。

 

この事態に、悲しいかな人種差別的ともとれるものも含めさまざまな意見がSNSで出回ることに。

またイタリアでは、セリエA第11節ヘラス・ヴェローナ対ブレスカの1戦でブレスカのFWマリオ・バロテッリに対して人種差別的なチャントが歌われた。バロテッリは激昂し、試合継続を拒絶するようなそぶりを見せた。最終的には両チームの選手に説得され試合は行われたが、非常に後味の悪い結果に。また、ヴェローナのフロントはファンのチャントをを数あるヤジの中の一つだと解釈し、差別的意図はなかったと説明。新たな火種が産まれている。

 

悲しいことだがサッカー界には忌まわしき人種差別の文化が未だ根付いているのは事実で、政治的プロバガンダが用いられたり、全くサッカーとは関係のないところでSNSが炎上したりすることがある。ナショナルチームとクラブチームが存在するスポーツ全般に言えることだが、国の代表とクラブを別カテゴリーで捉えることによってこの問題は発生している。また、サッカーは代表選手を選ぶにあたって国籍に関する厳しい基準が存在するため、話題になったラグビーと大きく違ってナショナリズムの道具となることもしばしばだ。

ここで声を大にして言いたいのは、「自国の代表を応援すること」と「自国や自人種への愛が余って他国の選手を批判すること」は全く異なるということだ。韓国人だからソンを否定している人間と、黒人だからバロテッリを批判している人間は等しく悪である。ソンは確かに韓国代表のキャプテンだが、トッテナムでプレーする時はトッテナムの選手だ。お門違いで時代遅れの批判に虫唾が走る。黒人だから、韓国人だから、アジア人だからって、みんな総じて頭悪すぎ。

 

ソンの「インテンショナルなファウル」に対してエヴァートンファンが異議を申し立てるのは自然なことだ。プレミアリーグのみならずサッカーではよくあるファウルだが、フェアプレーには反しており決して褒められるものではない。ただ、明らかに怪我をさせようと意図したものではなかった。事実、ソンのタックルの先にオーリエがいたからゴメスは負傷してしまったわけで、本当に不幸な事故であったと考えるしかないだろう。

 

プロとしてサッカーをしている選手たちには様々な責任が伴うが、愛国心まで背負ってピッチに立つ必要は全くない。ましてや、黒人代表としてピッチに立っているなんて馬鹿げたコンセプトだ。全人種が平等に扱われるのであれば、自分が黒人であることを誇りに思うなんて概念は生まれてこないだろうから、そもそも出発点を間違えていることになる。みんなサッカー選手であり、試合に勝つことを目標として日々黙々とトレーニングしているだけだ。そこには宗教対立も人種も国民性も全くなく、ただボールを追いかける22人がいればいいだけだ。他に何を求められるというのだろうか。

 

かつてケガによる長期離脱を経験しているエヴァートンの主将ジェイマス・コールマンは、試合後トッテナムのロッカールームを訪れてソンを慰めたそう。試合中も動揺する同選手にジェンク・トスンジョーダン・ピックフォードが声をかけていたのが印象的であった。バロテッリに対しては相手選手が総出でプレー続行への説得を行っていた。外野がこんなにも愚かなのに当のプレーヤーたちが紳士的な態度をとっているのを見て、ファンも思想や観戦の在り方を今一度見つめ直さなくてはならない。

 

次の犠牲者が出ないために出来る対応策は簡単、純粋にサッカーをサッカーとして楽しむことだ。